『週刊金曜日』(2007年8月10・17日合併号)今こそ「原爆神話」の解体を(木村朗さんに聞く)よりピックアップ:

(聞き手)昭和天皇裕仁も1971年の記者会見で「(原爆投下について)遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思ってます」などと発言をしながら、ほとんど批判の声は出ていません。



(木村)日米両国で、いまだに「原爆神話」が根強いですね。


(木村)「軍事的に原爆は不必要だったのに、米国はどうしても投下しようとし、日本の降服を意図的に長引かせた。その結果、より多くの犠牲が出た」というのが歴史の真実です。それは原爆が未完成だった45年春と、完成した7月以降の米国の対日政策を検証すればわかります。


(聞き手)具体的に何を指すのですか。


(木村)日本が降服することになった決定的な要因は原爆投下ではなく、12日に入電した「最終的な日本国政府の形態は……日本国民の自由に表明する意志により決定せらるべきものとす」という、バーンズ国務長官による「回答」であった。


それで外務省なんかが、「これで大丈夫だ。天皇制はなんとか維持できる」という確信を持ち、天皇もそれを伝えられ、最終的に受け入れたという経過がある。


米国も、天皇制の容認さえ保証すれば日本が降伏を受け入れるだろうことは最初からわかっていました。天皇制を容認・温存し、戦後の占領に利用するという路線は、43年当時から基本的な対日政策としてあったわけです。


原爆実験成功後、7月26日にポツダム宣言が出されますが、原爆投下が発令されたのは25日なのです。


米国は、日本側が軍事的に完全に敗北し、政治的にも降伏を模索しているにもかかわらず、どうしても原爆を使いたいために、最初から認めるつもりだった天皇制容認の意図を「無条件降伏」で隠して、原爆実験成功前の降伏を回避しようとした。