毎日新聞(2007年2月18日)五百旗頭真(防衛大学長)よりピックアップ:

映画『硫黄島からの手紙』(クリント・イーストウッド監督)のことから話を始めている。

硫黄島は、5日で制圧することを期していた敵将に36日の抵抗を行い、日本兵よりも米兵の死傷者の方が多い唯一の戦場。


その意味で、栗林の意図は達せられたと見える。が、抗戦中の3月10日未明、B29編隊が硫黄島越しに東京大空襲を敢行した。


出先が屍の山を築いて戦ったとて、中央政府の大局的に愚かな決定を覆すことはできないと思っていた。


そのような見方を私が改めたのは、ワシントンの公文書館で米軍の原文書を読みふけった時であった。米軍部は日米死傷者比率を気にしており、ガダルカナルで22対1であったのが、硫黄島で1対1になったことに衝撃を受けていた。4月1日に始まった沖縄戦も、米軍見積もり3倍のコストを要し、「事実上の敗戦」という言葉がワシントンで発せられた。


日本に穏当な条件を告げて早期終戦に至るとのグル−国務次官の提案が、ポツダム宣言に結びついたのは、本土決戦が、硫黄島や沖縄の拡大版となることを危惧したからであった。1日でも敵の本土侵攻を遅らせるとの硫黄島の想いは、実はそれ以上の結果、本土侵攻の中止という成果を生む一因をなしたのである。

(by pick-up)五百旗頭真硫黄島評価は間違いだと思う。硫黄島で本土侵攻が永遠に中止になったわけではない。日本の降服決定で本土侵攻がなくなっただけである。硫黄島や沖縄の論理を貫徹するなら、それは本土決戦であったし、それは日本の滅亡であったかもしれない。どうせ降服するなら、もっと早く降服していたら原爆もソ連参戦もなかったのだ!


NHKスペシャル硫黄島玉砕戦」(2006年8月7日)よりピックアップ:

一方のアメリカは硫黄島の戦いを通じて一つの確信に達しました。降服を拒否し、捨て身の地上戦を挑んでくる日本にどう対処するか。味方の犠牲をできるだけ減らすため、空からの都市爆撃を強化することにしたのです。


東京新聞(2006年8月29日)「大波小波」(文筆家)よりピックアップ:

AP通信社元カメラマンのジョー・ローゼンタールが94歳で死亡。1945/2/23に日米激戦の硫黄島星条旗を掲げる海兵隊の写真を撮影。J・ブラッドリー、R・パワーズ硫黄島星条旗」文春文庫(2002)硫黄島の激戦と多大な犠牲者は、やがて原爆使用論につながって行く。


東京新聞(2007年4月1日)
A・C・グレイリング『大空襲と原爆は本当に必要だったのか』河出書房新社
吉田一彦による書評からピックアップ:

アメリカ軍は終戦の二ヶ月前、つまり日本の敗北が明らかになってから、完全な無差別爆撃に転じているが、それは「二つの要因で説明できる。一つは、日本を爆撃すれば本土に上陸しなくても戦争に勝てるという信念と希望だった。もう一つは、率直に言えば、日本人に対する人種差別と怒りであった」