『アドルフ・ヒトラー 五つの肖像』グイド・クノップ/原書房/2004年よりピックアップ:

戦後生まれのわたしたちは、ヒトラーのしたことで責任を問われたりしない。しかしわたしたちには、忘却と抑圧と、それから拒絶に抗して心に刻むという責任がある。


わたしたちの歴史を構成する、消し去ることのできない要素である。このことを理解する者が、真の愛国者となる。

(by pick-up)右派言論人はそれまでの歴史教科書が左翼による自虐的歴史観だと主張して日本の過去の失敗をなかったことにしようとしてきた。たとえば侵略ではなかったとか、南京事件はなかった、と主張する。


だが、これらはちょっと調べたり全体的な状況を判断したらウソであることが明白である。せっかく謝罪して話がついていたのに、責任ある地位の人間がそれを否定したりするから被害を受けた国などから再び激しい反発が返って来て再度謝罪が必要になる。これこそが自虐である。


ルメイ(Curtis Emerson LeMay)は東京大空襲を初めとする日本の焦土化作戦の立案者であり原爆投下の命令を出した人物として知られる。ルメイは1964年、日本政府より勲一等旭日大綬章を授与された。これは参議院議員で元航空幕僚長の源田実の推薦によるものであった。ありえない程の自虐ではないか。


被爆国なのに核の傘などという幻想を信じて、核兵器の非人道性を訴える動きを妨害したり、教科書の原爆被害の記述を薄めさせた自民党政権こそ自虐だろう。


思いやりという観念とは無縁の米国に『思いやり予算』などというものを支給して、在日米軍の兵士が犯罪を犯しても日本の警察が手を出せないような条約を放置する日本政府こそ自虐だろう。


自分の国はいつも正しいことをしてきたと主張する歴史観は『オナニー史観』と言うべきである。