NHK教育テレビ(2007年8月20日)『福祉ネットワーク』よりピックアップ:

三鷹市にある精神科病院統合失調症精神分裂病)の回復期にありながら56年間も入院しているKさんが紹介された。投薬で激しい症状は数十年前からなくなっている。サポートがあれば社会復帰も可能と診断されている。


昭和25年、精神衛生法が制定された。Kさんはこの年に入院した。都道府県に精神科病院の設置を義務づけ、強制的に入院させる措置入院制度を導入した。病院の設置を促すため、精神科の特例で医師の数は3分の1でよいとした。


昭和30年代以降、精神科病院の数は急激に増加した。全病院のベッド数の4分の1が精神科病院になった。一方、薬の普及で入院の必要のない患者も増えた。社会の受け皿がなく病院を出ることができない人も大勢いた。


国も病院も患者を社会復帰させる支援を進めることはなかった。昭和43年、日本の精神医療のあり方が海外から厳しい批判を浴びた。WHOの医師が社会復帰を奨励すべきだと日本政府に勧告した。しかし、政策に変化はなかった。


統合失調症の予後は、4分の1が治癒し、半分が中度から軽度の障害が残り、4分の1が重度の慢性状態になる。軽度や中度の人は地域で暮らすことができる。Kさんも軽度から中度である。


なぜ社会的入院が長期になるのか。日本は、昔は患者が家庭に閉じ込められていた。それが病院に入るようになった。これは必要なことだった。しかし、60年代から70年代にかけて、薬物療法が開発され、諸外国は精神病床数が減っているのに、日本は逆に増えていった。


欧米の研究で、長期入院は患者によくないし、政策として費用対効果もよくないと分かった。患者も外へ出たが、医療スタッフも地域へ出て患者を支えるようになった。


欧米の精神科病院は公立が中心だったが、日本は私立病院に委ねてきた。だから計画的に医療従事者が地域で働くようにすることができなかった。日本の取り組みはこれからだ。国が社会的入院の解消をはっきり打ち出したのは平成16年だった。医療費の削減がねらいの一つ。


(by pick-up)父は若いときからアルコール依存症だった。私が高校生のときに、父は一緒に仕事をしていたその兄との確執から深酒して、幻聴・幻覚・妄想の症状が出た。かかりつけの医者の紹介で、私立の精神科病院に入院した。


症状が治まり退院したが、その後、父の入院していた病院がマスコミで問題にされた。新聞記者が患者を装って入院し、その病院の実態のひどさを告発したのだった。私立精神病院のひどさが問題になることは、その後も何度かあった。噂も聞いた。


当時、私は人間の心は簡単に壊れると思った。そして自分の精神状態に何か問題を感じたら、公立の精神病院に行こうと思った。