『戦争の日本近現代史』加藤陽子/講談社現代新書よりピックアップ:

1918年大戦が終結しました。戦争の結果日本は債務国から債権国に劇的に転換できました。パリ講和会議で日本が提出した要求は3点ありました。(1)旧ドイツ領南洋諸島処分問題、(2)山東省利権継承問題、(3)人種差別撤廃問題です。


注目したいのは、日本が国際連盟規約のなかに人種差別撤廃に関する条項を入れようとしたことです。


1907年の米国連邦移民法には、初めて日本人移民に関する条項が挿入され、13年からは、カリフォルニア州において外国人土地法が州法として実施されていました。さらに17年の連邦移民法は、日本人以外の他のアジア諸国からの移民について全面的に禁止するものであったので、日本側の憂慮は大きかったはずでした。


…からわかるのは、戦争をともに戦う見返りとしてある種の国際条約を締結することで、日本が、外の力によって、相手国の国内問題を牽制しようとする方式を選択しようとしていたことです。


帰米したウィルソンを悩ませていたのは、上院の三分の一以上が国際連盟に反対しているという現状でした。その悪化要因の中心にあったのが、まさに日本全権の提起した人種差別撤廃案でした。


アメリカが連盟に加盟しなかった経緯において、日本人の移民や帰化の問題が、かくも大きな比重を占めていたことは、改めて強調されていいことでしょう。


なぜ日本は、それほど移民の法律上の差別について、大戦後の時点で問題にしなければならなかったのでしょうか。


日米関係を悪化させた1924年のいわゆる「排日」移民法の結果、失う移民の総数は年間150人に過ぎないともいわれていました。


参謀本部で作成された文書では、新しい移民法によって、特別待遇が日本人に与えられなくなるとの指摘に続き、公然と入国を禁じられてきた「支那人その他と同一なる、市民権を獲得することを得ざる外国人」という項目に、日本人が入れられてしまうことになるとの衝撃が述べられています。


アメリカが日本にこのような移民法を適用したのは、ワシントン海軍軍縮条約での日米兵力差、大震災などが影響して、日本の国力と実力の低さが扮飾なく判断された結果であるとみていました。


アメリカが移民法で日本を低く位置づける態度がなぜ問題なのかといえば、それは単なる体面の問題ではなく「武威の減少」を意味するからだ、とも述べています。


それは中国の日本に対する軽侮につながるので、かえって戦争の機会を増すのだといっています。


移民や帰化というアメリカ特有の国内問題を、外からの国際条約の権威によって抑圧していくべきであり、抑圧してよいのだという参謀本部の発想は、アメリカの上院などが最も嫌うものでした。

(by pick-up)国際連盟アメリカが参加しなかった理由に日本が深く関係していたとは知らなかった。表面上は美しいが、裏を見ると言行一致しない日本の政策。