『日経サイエンス』(2007年9月)「科学世評」塩谷喜雄よりピックアップ:

国立大学の法人化に伴って、予算と評価の実務を掌握する文科省の影響力は巨大な権限と化し、いまや大学の「上」に役所が君臨している。カネと権限で君臨し、しかも統治する。渡しきりの運営交付金は、毎年総枠が削減され続けている。


自由な研究を保障するはずの資金が、大学を役所がコントロールする手だてにもなっている。配分のさじ加減は実質文科省が一手に握る。悪平等は許すな。こんな紋切り型の成果主義が、旧帝大東工大に優しく、地方国立大に厳しい配分を容認している。


競争的な資金は「無難な有名教授」に集中する。有名教授を旧帝大に引き抜かれている地方大学にとっては、研究資金の確保は深刻な課題となる。資金と評価を渇望する地方大学はこぞって文科省の官僚を受け入れるだろうというのが3年前の予想だったが、まさか学長までとは思わなかった。李下に冠を正さずという。

(by pick-up)橋本内閣のときだったろうか、財政問題から公務員の削減が打ち出された。一般の人たちは、公務員とは、霞ヶ関の官僚のことだと思ったのではないか?しかし、官僚側は、国立大学の教員も公務員だといって、大学などを法人化することで名目だけで公務員削減を実現したように見せかけようと考えたのであろう。それに対抗できなかった大学関係者も情ないと思うが、一部の大学は焼け太りするので、彼らが官僚とグルになったのかもしれない。しかし、そんなことでは元もと薄かった日本の科学の裾野が崩壊してしまうのではないか。