テレビ朝日『ザ・スクープ』(2007年8月12日)よりピックアップ:

京都帝国大学医学部出身の軍医・石井四郎は、戦線拡大による中国大陸での物資の不足を解決するため当時国際的に禁止されていた細菌兵器に目をつけた。


細菌兵器はソ連を仮想敵として開発された。すくなくとも3000人が人体実験の犠牲になった。 1940年当時、年間予算1000万円(現在の金額で約90億円)が会計監査なしで支給された。


監獄には捕えられた中国人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人などが人体実験のために収容された。彼らは「マルタ」と呼ばれ、それを殺したときは「何本倒した」と「マルタを倒した」と言った。


15歳で731部隊に所属していた人の証言によれば、ワクチンが効かない細菌製造のため、マルタにワクチンを注射して、さらに毒性の強い細菌を注射して、感染して熱がでてくれば大喜びした。それで瀕死の状態の時に解剖する。内蔵から菌を取り出すんですよ。生体実験・生体解剖だった。私が参加しただけで5人を殺害している。


陸軍全体で731部隊を支援する特移扱(とくいあつかい)という制度があった。戦前の関東軍憲兵隊に存在した制度で、憲兵・警察などが裁判などを行なわずに容疑者を731部隊に移送することだ。


元・憲兵隊員は、特移扱は必ず殺されるということは初めから知っていた、と証言する。人体実験になるというのは聞いたと。


元・憲兵隊員は、拷問のようすを証言した。水を飲ませることと、爪に針を刺すこと。天井からくくってぶら下げること。足をくくって天井からぶら下げたりもしていた。731部隊に送るというのは、何人捕まえるかが成績になる。特移扱した場合に褒美は栄転。


731部隊はペスト感染ノミを中国で実戦使用して死者を出した。


終戦直前、731部隊は特別列車で日本へ逃げ帰った。元・大本営作戦参謀の朝枝繁春の証言によれば、人間を使って細菌と毒ガスと凍傷の実験をやったことが世界にばれたらえらいことになると。(戦犯訴追が)直に天皇にこれが来ると。朝枝は満洲へ飛び石井四郎に命令を出した。一切合財、抹殺・消滅・証拠隠滅して下さいと。施設は破壊され、監獄にいた400人を超えるマルタは毒ガスで殺され、焼いた灰は河に流された。


石井四郎は隊員に、731の秘密は墓場まで持っていけと命令した。しかし、石井たち幹部は研究データを持ち帰った。


1942年ごろから細菌兵器開発を行なっていたアメリカは731部隊の実態を調査するためマレー・サンダース軍医中佐を派遣した。通訳兼情報提供者の内藤良一は石井四郎の右腕だった。内藤たちは戦犯免責活動を展開した。


731部隊に関するアメリカとソ連の対立の中、戦犯免責とひきかえに、石井たちは人体実験のリポートをアメリカに引き渡した。渡ったのは80%と聞いていると石井四郎の娘は証言する。


アメリカの最終報告書を書いたエドウィン・V・ヒル博士は「こうした情報は人体実験にためらいがある我々の研究室では入手できない。これらのデータを入手するため今日までにかかった費用は総額25万円である。はした金にすぎない」と結論づけている。


罪に問われなかった731部隊関係者は、その後、日本の医学界の重鎮となり、731部隊の責任追求を封じていく。例えば、東大医学部教授、京大医学部教授、大阪市立大医学部教授、京都府医大学長、長崎大学医学部教授、金沢大学医学部教授、陸上自衛隊衛生学校校長、ミドリ十字会長、北里研究所病理部長、東大伝染病研究所長、目黒研究所長、国立予防衛生研究所所長など。


ノンフィクション作家の池田房雄は、戦後の、特にワクチンと血液の分野はほとんど、オール100%が731部隊だ、という。


アメリカ側との交渉担当者の内藤良一はその後もアメリカとの強い結び付きを維持した。1950年朝鮮戦争により、アメリカ軍は大量の血液が必要になった。そこで内藤はGHQに日本初の血液銀行(日本ブラッドバンク)の設立を提案した。


日本ブラッドバンク設立時の取締役6人のうち3人が731部隊関係者だった。この会社の顧問には、内藤の交渉相手だったマレー・サンダースがいた。日本ブラッドバンクは、後にミドリ十字になり、薬害エイズを引き起こした。『ミドリ十字30年史』には内藤が731部隊に関り、アメリカと交渉したことは触れられていない。