『科学』(2007年8月)岩波書店よりピックアップ:


佐藤文隆村上陽一郎の対談

(村上)今の日本は、そんなに貧しくないはずなのです。ところが、研究費申請にあたっては、非常に短期的に社会的な「成果」がその研究のなかから出てくるかどうかを書かなければいけない。科学技術基本法が通った1995年以降とくに、日本の状態で不幸だと思うことです。


(佐藤)追い込まれて、本心からのエネルギーの入った行いではなく、外から「させられる」ものに研究がなってしまったらおしまいです。


(村上)1980年代に入って、私も日米の科学技術の会議に引っ張り出されたことがあります。アメリカは、「国立大学がこれだけあって、国家予算をつぎ込んでいるはずなのに、日本は基礎科学がいい加減だ」と言うのです。


(佐藤)日本がね?


(村上)そうです。「そのシーズは全部アメリカにあって、日本はアメリカのシーズを使って金儲けだけしている」と。COEプログラムを国家が立てたのも、アメリカからアクセスできる日本のCOEをつくるためだったのです。彼らから見て輝いてみえたのは、NTTの通研や、日立の基礎研・中央研といった、私企業の研究所だった。しかし、私企業の研究所には、アメリカの研究者は自由にアクセスできない。それでアクセスの非対称性を壊してほしいという要求が、常にアメリカから来ていたのです。


文部省は、それなら日本のCOEを国家予算で優遇しながらつくっていきましょうというのだけれども、それが…。

(by pick-up)強欲なアメリカ。日本は何かズルしているに違いないという偏見も感じられる。