『バックラッシュ!』上野千鶴子、宮台真司、斎藤環、古谷真理ほか/双風舍/2006年よりピックアップ:


山口智美:「ジェンダー・フリー」論争とフェミニズム運動の失われた10年より

97年、保守系知識人や旧軍関係者などによる改憲を目的とした「日本を守る国民会議」と、保守派系宗教勢力の集合体で、巨大な動員力を誇る「日本を守る会」が統合し、「日本会議」が設立された。


2001年には、同会議の「日本女性の会」も設立された。国会議員による「日本会議国会議員懇談会」のほか、「教育再生地方議員百人と市民の会」など、日本会議系地方議員の団体もある。


新しい歴史教科書をつくる会」の内紛劇でもあきらかになっているように、日本会議を中心とした現在の保守系運動における「宗教右翼」の影響力は、かなり大きい。神社本庁生長の家統一協会キリストの幕屋新生佛教教団、佛所御念会、霊友会などさまざまな保守系宗教団体、そしてモラロジー倫理研究所などの「倫理修養団体」がかかわっている。


日本会議の中小企業主や従業員らへの影響力は大きいと思われる。女性でスポークスパーソン的な役割をはたしている人物(長谷川三千子山谷えり子西川京子高市早苗稲田朋美、野牧雅子、市田ひろみさかもと未明エドワーズ博美、クライン孝子ら)もおり、ジェンダーや教育がらみの発言が目立つ。


バックラッシュの動きが顕在化してくるのが、2000年の末頃である。たとえば、『日本時事評論』において、「『男女共同参画』の表と裏」という連載がはじまったのが2001年1月である。反男女共同参画キャンペーンがはじまる直前までは、紙面の大部分は創価学会公明党批判に傾いていたのだ。


日本会議の機関誌『日本の息吹』で、「ジェンダー・フリー」という言葉が登場したのが、2001年10月号の特集だった。2002年10月号では、新田均による連載が開始され、「ジェンダー・フリー」という言葉がフェミニズム批判の中心として使われるようになっていった。


2002年秋には、統一協会系新聞『世界日報』での「ジェンダー・フリー」関連報道が開始される。性教育などについての報道を通じて、バッシングを展開し、現在に至っている。統一協会の政治部門である国際勝共連合の2003年度の年表には、「ジェンダー・フリー対決の年」というタイトルがつけられ、統一協会フェミニズム攻撃はこれ以降、非常に活発になっていく。


日本会議関連議員による地方議会や国会での「ジェンダー・フリー」関連の質問や反ジェンダー・フリーを銘打つ書籍の出版(林道義八木秀次西尾幹二など)、『正論』や『諸君』などの保守系マスメディアと、『日本の息吹』や『日本時事評論』、日本政策研究センターの『明日への選択』など保守系団体の雑誌・新聞、インターネットにおいて、「ジェンダー・フリー」という言葉の意味が、曲がって伝えられるようになっていった。


ジェンダー・フリー」は「フリー・セックス」と同じであるとか、性差を完全に否定するものであるというような文脈で、生物的なセックスと、ジェンダーを意図的に混同するのだ。新井康允や澤口俊之などの「脳科学」をベースとする主張が、その政治性や研究としての問題点などを隠したまま使われている。


ジェンダー・フリー」は、「男女混合着替え」や「男女混合騎馬戦」、「男女混合身体検査」などの道徳破壊をまねき、日本を「亡国」の道に追いやるというのだ。夫婦別姓などにより家族の崩壊や少子化をまねき、「ひなまつり」などの伝統文化を滅亡させるという。


くわえて「ジェンダー・フリー」はすべて、マルクス主義にもとづいた過激思想による革命戦略である、などというのが、よくある保守派の論理展開である。

(by pick-up)宗教右翼の言論の特徴は平気で『ウソ』をつくことである。繰りかえし、大量に、組織的にウソをばらまいている。ウソをついてはいけない、というのは子どもに教える初歩的な道徳であるが、そんな初歩の道徳を放棄した彼らが、道徳について発言するとは呆れてしまう。学者なら簡単に確認できる事実に反した言論をしたら恥しいと思うべきだが、右翼学者は、そんな職業倫理さえ放棄している。自分達の反対者は悪魔であり、目的を達成するためには悪魔には何をしたっていいと考えているのだろう。