東京新聞(2007年7月4日)「こちら特報部」よりピックアップ:

今国会で改正教育関連三法が成立した。十年ごとの教員免許更新制や、免許失効を可能にした指導力不足教員対策の厳格化が含まれている。


「自分がなるまで『指導力不足教員』なんて人ごとだった」。小川和則教諭はそう振り返る。教員になって11年目の2004年、分校に転勤。その1年後、指導力不足教員と認定され、2年間の研修を経て今年4月、ようやく職場への復帰を果たした。


小川さんは10年来、コの字形に机を並べ授業をしてきた。これに教頭からクレームが付いた。実践してきた「仮説実験授業」も問題とされた。この方式は1960年代から全国に広がった授業技術。理科などで子どもたちに予想を立てさせ、討論、実験を経て理解させる。しかし、教頭は「教科書に沿わない」と批判した。給食も無理に嫌いなものは食べさせなかった。これもやり玉に挙がった。


それまで主役タイプだった女子児童を「厚遇」せず、その保護者から教頭に不満が届いた。当時、小川さんは別の「いじめ」対策に頭を痛めていた。教頭の「忠告」を受け流し続けた結果、本校の校長から市教委に「特別研修教員(指導力不足教員)」として申請された。県教委の判定会はこの申請を認めた。日教組系の組合幹部は「上司を怒らせたオマエが悪い」と相談に冷淡だった。


小川さんは少数派教職員組合で「初めて真剣に話を聞いてもらえた」。「(組合員が)教育委員会の幹部相手に正々堂々と渡り合う姿を見て驚いた。正当な権利でも、主張してはいけないと諦めていたから」。


小川さんの反論書提出や少数派組合、無所属県議の申し入れなどが続いた。県教委の判定会が最終的に下した判断は原職復帰。免職要求をけられた形の八街市教委の広瀬忠臣学校教育課長は取材に「おたくらに話すことはない」。


「虫けらのように扱われたのが悔しかった。結局は大人社会の『いじめ』。子どもたちはそれをじっと見ている。私が学校で生き残っている事実が、似た境遇の教員や子どもたちの励みになれば何よりうれしい」。

(by pick-up)安倍晋三が「駄目教師は辞めて頂く」なんていうと、教育が良くなるとでも思う人がいるかもしれない。だが、実際は、熱心な教員が排除されるのが加速されるだけだ。国家による権力行使の末端組織としての学校の側面が強化されるだろう。