山住正己『教育史に学ぶ』新日本出版社/1981年よりピックアップ:

動物学者の丘浅次郎(1868〜1944)の教育論

丘は何よりも「疑いの教育」(1912年)を提唱していた。修身ばかりか、国語・地理・歴史、さらには理科でさえ、教師の話し聞かせることを信じ込ませる教授法がとられていることを、彼は問題にしていた。


どうしてこういうことになったのか。彼は「先ずチョン髷を切れ」(1919年)で、明治維新のさい、目に見えるチョンマゲと頭の内のチョンマゲの両方を切り捨て、前者は今日まで復活しないのに対し、後者は切った当座は短かったのに、だんだんのびてきたという歴史をふり返る。


頭の内のチョンマゲとは、「国粋保存と称する仮面をかぶった頑迷固陋(がんめいころう)な旧弊思想(きゅうへいしそう)」である。自分の国のすぐれているところを失わぬようにするのは大事だが、何が国粋であるかということは、公平な眼がなければ分からない。内なるチョンマゲが再び大きくなったのはこの眼を日本人が持たなかったからではないか。


丘は、当時の状況について、「他国の人々にはまるで通用せぬような偏狭な考え方を、強いて継続せしめようとつとめるのは、国粋の保存ではなくて、実は旧弊に対する執着に過ぎぬ」と、きびしい批判を加えていた。


丘は「一代後を標準とせよ」(1918年)と主張する。もっと知育を重視すべきだという。教育者は、知育偏重という非難をおそれて知育の時間を他に向けようとするが、一代後のことを考えれば、他国に比して貧弱な知育を問題にすべきだといっていたのである。


教育科学研究会・山住正己・梅原利夫(編者)『新学習指導要領をのりこえる』(1989年)よりピックアップ:

この時の学習指導要領改訂では「畏敬の念」や「宗教的情操」を強調した反面、以下のようなことの削除が見られた。


小学校「道徳」では、「ものごとを合理的に考え」という内容(現行の一四)を抹消している。


この一四の括弧書きのなかにあった「真理を尊び…正しく批判し判断して」ということばもなくしてしまった。

(by pick-up)いつの時代にも警告を発している人はいる。それを聞く耳を持たないから、ひどい目に合うのである。


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