テレビ東京(2007年3月21日)『ガイアの夜明け』(公立VS私立)よりピックアップ:

2003年に経営危機になった私立中高一貫校・郁文館は居酒屋チェーン・ワタミ社長の渡邉美樹を理事長にした。渡邉美樹は教育再生会議の委員もしている。


郁文館では競争原理と成果主義を導入した。生徒、同僚、校長、保護者、本人に教師を評価させる『360度評価』という制度を導入した。


渡邉美樹は学校の売り上げの50%を人件費にするといい、その分配を教師に決めさせると言う。しかし教師が賞与と教師の評価を連動させないという案を作ると、渡邉美樹の部下が即座に拒絶する。そうして出来上がった評価と賞与の連動案を渡邉美樹は教師たちが自分達で決めた案だからしっかり進めてくれと発言していた。


NHK総合テレビ(2007年3月21日)
NHKスペシャル『学校って何ですか?』よりピックアップ:

公立学校にはこの20年の間に実に様々な改革が求められてきた。「ゆとり教育」が学校現場から"ゆとり"を失わせている。例えば中学の国語では、授業時間が減らされたのに、平成14年の学習指導要領では『考える力をつける』など時間がかかることが要求されている。


理科の評価では、定期テスト、単元テスト、実験レポート、ワークブック、宿題、ノートなどについて意欲、思考力、表現力、理解などを判定しなければならないという。


東京新聞(2007年3月30日)よりピックアップ:

教育再生会議、29日。小中高で「徳育」を正式教科として位置付けることを柱とする第2次報告のたたき台をまとめた。白石真澄・学校再生分科会主査は「将来には成績判定がされるだろう」と述べた。

(by pick-up)いやらしいね、渡邉美樹は。やらせたいことがあるなら自分の責任で命令すればいいじゃないか。昔の戦争の特攻も、やらざるを得ない状況に兵士を追い込んでおいて、自発的だったなんて責任回避したのだ。


教師を評価するというのを頭から否定しようという訳ではない。でも教師自身に関する効果ならわざわざ評価しなくても、テストして全体的に成績が悪ければ、普通の感性を持つ人間ならそれだけで空しく感じて授業のやり方を変えると思う。具体的なことは授業の感想でも書かせたほうが有用だ。


渡邉美樹の部下は競争原理が働かないと努力しないといい、賞与と評価を連動させることを主張した。金はあったほうがいい、だが、教師が優先するモチベーションは金だろうか?もし、そうならば教師なんかやめて居酒屋でも始めたほうがいいと思う。


観点別評価というのが始まると報道されたのはかなり以前だ。馬鹿だと思った。学校は知育を主要目的とする場であり、学校での評価というのは学業成果でしかないことを世の中の全ての人が認識すべきだ。あまりの馬鹿ばかしさに、すぐポシャるだろうと思っていたが、いまだに続けているとは呆れる。


理解できてないけど意欲があったからいい人間だとか、理解してるけど意欲が見えないから悪い人間だなんてことを評価するべきじゃない。保護者に詳しく学習成果を通知する必要があるなら、成績表ではなくて、採点したテストやレポートそのものを保護者に渡せばすむ話だ。


学校は人間の全ての価値を判定する場所なんかじゃない。学業成果以外の部分で高い能力をもつ人は成績以外で評価されればいいのである。人柄がいいから友人が信頼しているとか、音楽がうまくてコンクールで優勝したとか。その全ての評価に学校の教師がかかわる必要なんかない。


もういいかげんにしろ!個人の『徳』の程度を学校が判定評価するなんて狂気だ!そんな評価が本当にできるなら、先ず政治家、官僚、会社経営者、警察、教師、宗教家などの道徳の程度を測定すべきだろう。そして、道徳的だと判定された人物が不道徳な行為をしたら、判定をした人物に連帯責任を取ってもらわねばならない。その覚悟があるならやってみたらいい。


文部科学省によれば公立の教師の労働時間は1日平均11時間だという。私がいま学生なら、小中高の教師になろうとは思わない。こう思う人が増えれば、学校はますます酷くなるだろう。