NHK総合テレビ(2007年9月19日)『その時歴史が動いた』よりピックアップ:

岩手県西和賀町沢内(旧沢内村)では昭和31年、乳児100人のうち7人が1歳を向かえる前に亡くなっていました。沢内村の村長の深沢晟雄(まさお)は、月にロケットが飛ぶ時代に赤ちゃんがコロコロ死ぬなど許せないと立ち上がった。


まず建設機械会社からブルドーザーを借りて病院に通えるように、除雪をした。


定期的な乳児健診を始めた。発育不良が浮きぼりになった。くる病も目立った。原因は赤ちゃんが日の当たらない屋内に放置されていたこと。


病院に派遣される医師はまともな者ではなかった。東北大学に医師の派遣を求めた。


保健婦によって、くる病を防ぐため母親への育児教育を始めた。


赤ちゃんは放っておいても育つと考える姑の考えを変えるために、子育てに協力した姑に賞状を出した。


役場にいた保健婦を病院に送り、連携した予防活動を始めた。


村では病院にかかることは財産をなくす出費だと考えていた。深沢は医療費の無料化を考えた。岩手県は、深沢のやり方が国民健康保険法に違反する、と待ったをかけた。


深沢は、国民健康保険法に違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ、と主張した。憲法が保障している健康で文化的な最低の生活すらできない国民がたくさんいる、最高裁まで争います、と言った。


村議会では、病院で行うのは病気予防の保健活動であり、国民健康保険法に抵触しないと主張した。批判する議員には法律よりも優先されるべき理念があると説得した。


昭和36年、深沢は村の乳児医療費の無料化を実現した。昭和37年、村の乳児の死亡率ゼロが全国に先駆けて達成された。


乳児医療費の無料化は全国に広がっていった。


NHK総合テレビ(2007年10月5日)『特報首都圏』よりピックアップ:

救急で妊婦が病院から受け入れを拒否されることが多い。拒否の理由は、かかりつけ医でないこと(13病院)、医師不在などで対応不可能(9病院)。


妊婦が、かかりつけ医を持てないことの原因は医療費が高額なこと、産科医不足。


船橋市の女性の夫の年収は280万円。妊娠して病院に行ったが、「出産にかかる費用が、50万からはじまってあとは100万と聞いて、とても用意できないなと思った」


分娩に40万円(公的補助は30万円)。十数回の検診に10万円(公的補助は2回だけ、自治体により違う)。感染症検査に5万円。