NHK教育テレビ(2007年9月2日)『裁かれなかった毒ガス作戦』よりピックアップ:

旧日本軍は中国で毒ガスを使った。敗戦時に埋められた毒ガスの流出により現在でも被害を受けている中国人がいる。日本の裁判所に訴えたが7月18日東京高等裁判所は、毒ガス兵器は日本軍が持ちこんだと認めながら、危険回避は困難だったと被害者の訴えを退けた。


中国には30万発から40万発の毒ガス兵器が遺棄されたと日本政府は推定している。


中国政府は東京裁判に日本軍による毒ガス使用の証拠を提出したが、毒ガスは問題にされなかった。


太平洋戦線では日本軍はアメリカの毒ガス戦を恐れて、毒ガスを使わなかった。アメリカ軍の化学戦統轄部隊は日本やドイツよりも優秀なガスマスクを開発して(自信を持ち)、毒ガスは「戦争を早く終らせ、アメリカ軍の多数の命を救う」と使用を提言していた。


沖縄戦での日本軍の激しい抵抗の結果、アメリカ軍は九州上陸作戦から毒ガスを使用することを計画していた。「生きるか死ぬかという時にジュネーブ議定書が心配で何もできないとういう人はいないでしょう」(元・化学戦統轄部隊関係者)。8月1日には毒ガス弾の積み出し命令が出された。


東京裁判で日本軍の毒ガスはハーグ宣言(1899)、陸戦条約(1907)、ベルサイユ条約(1919)に違反した行為として裁かれようとしていた。


しかし、毒ガス使用が制約されるのを嫌がるアメリカ軍の化学戦統轄部隊の主張によりアイゼンハワー陸軍参謀総長がキーナン主席検事に、日本軍の毒ガスを免責をするように秘密電報を送った。戦場での毒ガスと細菌兵器の使用を禁止するジュネーブ議定書(1925年)を日本と米国が批准していないと書いてあった。


毒ガスの使用を免責したことは、「化学兵器生物兵器の使用、開発、計画を促進したと思います。裁かれたとしても彼らを止めることはできなかったでしょう。しかし、免責が手助けになったでしょう。」(米国の化学戦の歴史の研究者)


ベトナム戦争で米軍は催涙ガス枯葉剤などの化学戦を行なった。1993年、化学兵器禁止条約催涙ガスの戦争での使用が禁止された。