『機会不平等』斎藤貴男/文春文庫/2004年よりピックアップ:

三浦朱門・前教育課程審議会会長の証言を紹介しよう。80年代半ばに文化庁長官も務めた作家で、「ゆとり教育」を深化させる学習指導要領の下敷きになる答申をまとめた最高責任者だった。


「できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」


朝日新聞(2007年7月27日)よりピックアップ:

日本経団連の夏季フォーラムが26日、開幕した。約40人の財界人が参加し、初日は教育問題を議論。


御手洗冨士夫会長(キャノン会長)は、学生を成績や論文で評価し、入社から給料に格差をつける仕組みの導入を提案した。


アインシュタイン16歳の夢』戸田盛和/岩波ジュニア新書/2005年よりピックアップ:

彼は暗記する力が大変弱く、歴史や語学などの勉強はまったく無意味に思われたのです。暗誦しようと努力するよりは、どんな罰でも受けたほうがましだと思うのでした。学校になじめないうえに、軍国主義的になっていくドイツがいやになってイタリアの家族のもとにいきました。


ギムナジウムを勝手にやめてしまったので、ドイツの大学へは進めません。スイスの大学を受験し、落第しました。大学の学長のすすめで、州立高校で中学の教育課程を修了することにして、第三学年に編入を許されたのでした。


アーラウ州立高校には自由の精神がみなぎっていました。1年間楽しく学校生活を送ることができました。アーラウでの1年のあいだに「光速度で光の波を追いかけたら、光の波は静止して見えるだろうか」という疑問を考えはじめました。


チューリッヒ工科大学に入学しました。しかし、きまぐれに出席するだけでした。


彼は次のようなことを述べています。「優秀な学生であるためには、容易に理解できる力がなければならない。それから必要なのは、講義されることのすべてに能力を集中できる熱意と、講義内容をノートにとり、あとで綿密にまとめあげるためのきちょうめんさが必要である。私には、このような特性がどれも欠けていた」


チューリッヒ工科大学を卒業しました。しかし就職はできませんでした。同級生は助手に就職できたのに、彼だけは採用されなかったのです。採用されなかった理由は、教授からきらわれていたためといわれています。


就職口がなく、困惑しきったアインシュタインを救ってくれたのは友人でした。自分の父に熱心に説明しました。そこで、その父は、特許局長官だった友人にアインシュタインを推薦しました。面接試験で、技術の面で能力が不足していることがわかりましたが、マクスウェルの電磁学をくわしく知っていることが買われて、臨時職にやとうことにしました。空席がなく、臨時職に採用されるのにも、しばらく待たなければなりませんでした。


特許局へ就職できたのは「天の救い」でした。もっとも創造的であった数年間、生活の不安から解放されたのです。

(by pick-up)右派は一方では教師バッシングをしているのに、三浦朱門御手洗冨士夫は学校教育を信用しているらしい。財界人は戦前のエリート教育を高く評価しているようだが、その優秀なエリート達が御粗末な戦争で日本を崩壊させたのである。戦後だって、官僚は試験によりキャリアとノンキャリアは最初から別コースとされてきた。そのためにキャリア官僚はプライドだけは高いのだが、デタラメなことをやってきた。教育は長い目でみなければ駄目だ。権力周辺にいる輩の人間観が浅薄すぎる。