小森陽一『世紀末の予言者・夏目漱石』講談社/1999年よりピックアップ:

「私の個人主義」という講演が1914年に行われた、という歴史的事実をあらためてここで想い起こしておきたい。


重要なのは、第一次世界大戦下において、日本の中国に対するあからさまな侵略が、ドイツに対する怨恨的ナショナリズムを復活させながら正当化され、そうした気分や感情が領土拡張的な国権ナショナリズムに転化していく時期に、夏目漱石が、あえて「私の個人主義」と題して、学習院という、日本の参戦を主導した藩閥権力の中枢にかかわる場で講演することを選んだ、という歴史的状況認識をふまえたうえで、その内容について吟味しなければならない、ということである。


「私の個人主義」からの引用:

…けれどもその日本が今が今つぶれるとか滅亡のうきめにあうとかいう国柄でない以上は、そう国家々々と騒ぎまわる必要はないはずです。火事の起こらない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中かけ歩くのと一般(同類)であります。