週刊金曜日(2007年11月23日)「国鉄改革がもたらしたもの」奥村宏よりピックアップ:

(欧米の)資本主義国は、1970年代になると危機に陥った。一方で物価が上昇してインフレになり、他方で不況によって失業者が増えるという、資本主義がそれまで経験しなかった事態が生じた。


イギリスではサッチャー政権によって、アメリカではレーガン政権によって、危機対策が80年代になって打ち出された。それが国有企業の私有化であり、規制緩和であった。それはF・ハイエクやM・フリードマンなどの理論に基づく新自由主義として宣伝され、輸出されていった。


80年代の日本はイギリスやアメリカのような危機には陥っていなかった。にもかかわらず中曽根内閣があえて国鉄改革や電電公社の民営化を打ち出したのは、労働組合たたきが目的であった。


イギリスでは電信電話事業の私有化から始めて航空、ガス、水道、電力などの事業を私有化していったが、サッチャー政権が掲げた目的を達成するのはむずかしかった。


しかし日本の中曽根内閣の狙いは見事に成功した。総評は解体し、社会党も力を失ってしまった。


国鉄が分割されたあと、長期債務は25兆9000億円もあったが、その後28兆3000億円にまで増えた。そのうち24兆2000億円が国の一般会計に組み入れられたが、国民の負担に付かえられただけのことである。扮飾決算。


株式会社にすれば、うまくいく、という神話だが、それは政治的に作られた幻想にすぎなかった。


JR各社は大量の人員整理をしてスタートしたが、人員が少なくなれば事故が起こる。株式会社に社会的責任があるなどという議論は株式会社論からは出てこない。


国鉄の民営化で注目されたのは、それが持っていた膨大な土地である。都心の一等地を取得したのは大林組などのゼネコンである。それも安値で売ったといわれる。国鉄が地方に持っていた土地は地方自治体に移して、不良債権になったままである。


国鉄のライバルは私鉄である。民営化されると競争関係は激しくなる。私鉄会社がJR各社を買収して乗取るというようなことは日本では考えられない。


国鉄民営化後の20年間の歴史を見れば、構造改革どころか、株式会社の危機対策にもなっていなかったことは明白である。


歴史からなにも学ばなかったのが小泉内閣郵政民営化であった。国民はそれにだまされた、という以外にはない。