中央公論2007年2月、佐伯啓思「日本の『戦後保守主義』を問う」よりピックアップ:

保守主義の精神をいち早く表明したのは、フランス革命に反対したエドマンド・バークであった。バークは合理的な啓蒙的理性の名による社会変革ではなく、伝統的で非合理なものの効用を重視し、イギリスの上層階級の持つ文化や倫理感、宗教意識の保持こそが文明を破壊から防ぐと述べた。


近代とは、本質的に合理主義精神にもとづいた社会変革と普遍性を求める時代である。近代におけるもっとも反体制的な思想こそが保守主義である。


「(保守主義的性向の)中核をなすのは、何か手元にないものを望んで捜し求めるのではなく、手にすることができる限りのものを利用して楽しみを得ようとする傾向、かつてあったものや将来あるかもしれないものではなく、現にあるものから喜びをえようとする傾向である。……そこには過ぎ去ったものへの盲目的崇拝は少しもない。大切にされているのは現在なのであり、その理由は、それに親しんでいるということにあるのである」(マイケル・オークショット「政治における合理性」)


「(保守的傾向の)人の理解では、統治者の仕事とは、情念に火をつけることではなく、すでにあまりにも情熱的になっている人々が行う諸活動のなかに、節度を保つという要素を投入することであり、抑制し、静めること、そして折り合わせることである」
(同上)


自由主義は社会構造を弱体化し、『大衆型』の人間の増加を促し、そのことによって、出番を伺っていた全体主義者を招きいれたというわけだ」(同上)


バークやトクヴィルから始まる保守主義の伝統には、おおよそ次のような要素が含まれているといってよいだろう。


(1)抽象的な理念よりも、現実にある具体的で身近なものへの愛好、


(2)合理的な社会設計よりも、非合理的な慣習の中にある安定したものへの信頼、


(3)信頼できる家族や地域や自発的集団への愛着、


(4)国際的なグローバリストであるよりも節度ある愛国心をもつこと、


(5)強力な国家主義ステイティズム)と、自由放任的な個人主義、市場中心主義への懐疑、


(6)自由や民主主義の絶対化、普遍化に対する警戒、


(7)とりわけ民主政治が陥りがちな大衆化、大衆迎合政治への批判。これが、「本来の保守主義」というものである。


それに比すれば、80年代のレーガン主義やサッチャー主義から始まるいわゆる「新自由主義」が、いかにこの種の保守主義から逸脱したものかは明らかであろう。


アメリカにおける建国精神への回帰という意味での「保守」は、イキリスにおいては「保守主義」とは対立する「自由主義」ということになる。


戦後日本に「保守」というものがありえたのであろうか。自民党の政策は無原則で場当たり的なものであった。


(by pick-up)安倍晋三のブレーンとも言われた右翼学者の八木秀次などはバークを称讃しながら、サッチャーレーガンを称讃している。御都合主義。