中央公論2007年2月、苅谷剛彦「最後にツケがまわるのは誰か」からピックアップ:

『履修』とは授業を受けること。『修得』とは目標からみて満足できる成果を上げること。日本の教育と、日本社会の特徴は、『修得主義の欠如』である。


今の小・中学校では絶対評価がされているといわれるが、修得主義とは程遠い。評価の厳しさそのものを避けようとする。


多くの先進国では大学で学ぶためには『修得』が厳しく問われ、基準が明確で、かつ高度。この点が、日本との大きな違いである。


それでも(日本は)大学ランクと受験競争で、絶対的評価をしなくても一定程度の学力を持った学生を選抜できた。


あいまいな評価制度を取り入れることで、生徒・学生たちを排除しないように、学校に包摂する仕組みを維持してきた。


絶対的基準で若者を区別して排除する仕組みでは、学校に帰属しない若者の失業や犯罪などの社会的・経済的コストがかかる。


他方、学校に包摂することでかかるコストも無視できない。満足できる成果に達している学生がどれだけいるか。巨大な無駄遣いといえなくもない。正社員が減り訓練の機会が少なくなっている。


排除を避けるやさしさを維持しながら、教育への公的支出を他の先進国なみに上げて、満足できる成果に到達できる若者を増やしていかなければならない。