東京新聞(2007年7月9日)「こちら特報部」よりピックアップ:

「政府はアイヌ先住民族であると認めない。約140年間も認めてもらっていない民族なんです」加藤忠氏は切り出した。


明治政府が1871年明治4年)、戸籍法を公布してアイヌを平民に編入、続いてアイヌ伝統の習俗を禁止した。


開拓民の移入でアイヌは豊かな土地を追われた上、同化政策母語の使用や狩猟、樹木伐採など生活の手段を制限・禁止された。以来、長い間、差別と貧困にあえいできた。


佐藤幸雄氏は「1911年、日英米露と4カ国で結んだオットセイ保護条約では『インディアンやアイヌその他の先住民が生活のために捕獲する場合は条約を適用しない』という表現でアイヌを先住民と認めている」と言う。


「外国人土地所有法(1910年制定)の衆院審議では、小村寿太郎外相が『北海道、台湾、樺太のように植民地の位置にある未開の地においては外国人に土地所有を許さない』と答弁している。北海道は植民地という政府見解だ。植民地なら、そこにもとから住んでいた人は先住民族でしょう」。


二風谷ダム訴訟判決で司法の上ではアイヌ先住民族という判例が残った。しかし、政府は今も「先住民族については国際的に確立した定義がない」として、かたくななまでにアイヌ先住民族と認めようとしない。


「国連で先住民族の権利として、居住していた土地や資源に対する権利や、政治的自決権が論議されているからだろう。裏を返せば、政府はアイヌ先住民族であり、(自決権などの)権利を持っていると認識しているんですよ。だから認めたがらない」と佐藤幸雄氏は解説する。


日本テレビ(2007年7月8日)
NNNドキュメント'07「もうひとつのミナマタ〜新潟水俣病42年〜」よりピックアップ:

昭和電工の排水によりたれ流された有機水銀による新潟ミナマタ病の被害者の実態はつかめていません。1959年、国は専門家の報告を受けながら有機水銀のたれ流しを規制しませんでした。


医師が水俣病と診断しても国が患者として認定しないケ−スが相次ぎました。国が認めない未認定患者。


未認定患者が増えたきっかけは裁判でした。新潟水俣病の患者が昭和電工を相手どった裁判は患者側が全面勝訴。昭和電工は国が認定した患者に限定して補償金と年金を支払う協定を結びました。


この協定を境に認定を棄却される人が急に増えました。さらに1977年、国は認定基準について複数の症状が必要だと条件を厳しくしました。


これまで新潟ミナマタ病の認定を国に求めた患者は2000人、認定されたのは700人に過ぎません。


2004年、熊本水俣病の未認定患者が起こした裁判で最高裁判所は国の認定基準を事実上否定。しかし、環境省は認定基準を変える必要はないと、かたくなな姿勢を貫いています。

(by pick-up)不都合な真実は認めないのがこの国の権力者の得意技である。仮に、ないソデは振れないというのが本当だったとしよう。患者として認めた上で、金を払えないというなら、国は痛み感じる必要がある。しかし、患者と認めなければ痛みを感じないのである。しかも、認定を求める患者は地域の住民からニセモノ扱いされていじめられる。


認定基準を恣意的に厳しくすれば被害は過小評価されるので将来の対策は不充分になる。さらに、国や企業が支払うべき、被害に対する補償のコストは安く算定されるので、公害を防ぐ動機づけが弱くなり、同じような誤りを何度でも繰りかえす。原爆症の未認定なども同じ構造である。


米国だってインディアンに対する侵害は酷いのだが、インディアンが先住民かどうか分からないなどと米国政府が言えば世界の誰だって愚かだと思うだろう。日本政府がやっているのは、そういう事なのだ。『薄汚い国家』・日本!