別冊宝島Real, 070『謀略の昭和裏面史』黒井文太郎[編著]よりピックアップ:
統一教会はもともと韓国人牧師・文鮮明が昭和29年に創始した新興宗教だが、昭和36年、韓国で朴正煕がクーデターによって政権を奪取した直後から、情報機関「韓国中央情報部」(KCIA)と協力関係を結び、その庇護を受けて勢力を急速に拡大した。
戦後ソ連共産党のアジアでの工作活動に対抗すべく、アメリカでも反共団体やCIAが中心となって、アジアでの反共ネットワークの構築を画策していた。昭和29年にはCIAの肝煎りで「アジア人民反共連盟」(APACL)が結成されていたが、昭和40年に日韓条約が締結されると、その院外団的勢力として、各国の民間右翼団体によるネットワークの結成が模索された。そこで中心的な役割を果たしたのが、韓国では統一教会、日本では笹川良一だった。
統一教会はKCIAと手を結んだ直後から、崔翅翼(日本名・西川勝)という幹部を日本に送り込み、「原理運動」を開始した。このとき崔に協力したのが笹川だったが、そこにはおそらくKCIAと米CIA、あるいはアメリカの反共団体の協力要請があったものと推測される。
笹川は昭和38年に統一教会の顧問となり、支援した。統一教会は笹川の影響力によって政財官界、とくに自民党と警察組織に浸透したといわれる。
一方、「原理研究会」を組織して若者を勧誘した。昭和37年に立正佼成会の幹部の久保木修己が統一教会に合流し、昭和39年に会長に就任する。
昭和41年に、統一教会がホストを務めて「世界反共連盟」(WACL)が韓国で結成された。世界中から反共団体が参加したが、それらは事実上、CIAと米反共団体が組織していたネットワークだった。
昭和40年代半ばから昭和60年頃まで、WACLの会長を務めたのが、極右軍人のジョン・シングローブ米退役少将である。
KCIAの公認で、統一教会が「国際勝共連合」を創設したのは、昭和43年1月だった。日本での組織化の後ろ盾となったのが、またもや笹川良一と岸信介だった。日本でも、久保木修己を会長とする国際勝共連合が活動を始める。笹川は名誉会長となった。
昭和53年に米下院国際関係委員会のレポートで、統一教会=勝共連合とKCIAの深い関係が暴露された。
日本でも日本共産党が統一教会系の政治家のリストを公表した。当時の福田赳夫首相をはじめ、現職閣僚から16人、自民党議員155人、新自由クラブ議員4人、民社党議員5人というリストだった。
関係が深いのは、韓国ロビーに近いか、反共右翼色の強い人脈ということになる。政治家では岸信介、福田赳夫、椎名悦三郎、中曽根康弘、財界人あるいは右翼や学者では、これらの政治家の周辺にいる面々ということになる。