TBSラジオ(2007年2月21日)よりピックアップ:
新潮社から去年出版された『累犯障害者』を書いた元衆議院議員の山本譲司と小西克哉の対談。
(苛められない快適な場所として刑務所をとらえて、出所しても犯罪を犯して刑務所に戻ろうとする人がいる)
日本の知的障害者は人口の0.36%です、欧米先進国はどこでも人口の2〜3%です。日本の福祉は最重度から中程度の人しかカバーしていない。日常動作により障害の重い軽いを決めていて、そこに金をつけた。重度の人を集めたほうが経営が楽だ。介護も重度のほうが楽だ。
中程度の障害者には認定されることで得るものはない。逆にラベリングになってしまう。社会でマイナスになる。こういう人は、ある意味生活スキルはあるわけですよ。見かけは健常者と変わらない。生まれながらに人と折り合いをつけることができない、こういう障害なんですよ。
(障害を持った方で犯罪を犯した場合どう防止したらいいんですか)
オーストラリアなんかでは、罰しはしますが、刑務所内処分に福祉サイドもかかわるわけです。出た後も福祉につながれる訳です。日本は医療少年院ではやっているが、成人ではないです。
東京新聞(2006年12月27日夕刊)大澤真幸の批評で取り上げられたものからピックアップ:
(浜井浩一と山本譲司「論座」)
刑務所には異常に高い比率で知的障害者がいる。刑務所の内と外を行き来するような人生を送っている。刑務所だけが彼らを拒否できない。
(湯浅誠「論座」)
社会福祉行政は貧困の定義すら有していない。貧困者をターゲットにしたビジネス(漫画喫茶、フリーター向け飯場、野宿者向け宿泊所)。こういうビジネスが貧困者を貧困に留めるように機能する。
(市野川容孝「社会」岩波書店)
交換よりも分配(贈与)に正義の原点があるとする感覚。「貧困」への政府の対抗策は自立支援だが、これは交換の正義だ。社会は市野川の述べたとおり分配の正義によってしか確保されえない。