東京新聞(2007年4月15日)社説よりピックアップ:

朝鮮通信使が来日から400年。朝鮮との外交、室町時代にも活発でしたが、豊臣秀吉の治世に攻め入ったため途絶。再開したのが徳川家康。江戸250年間、日本は近隣と一度も戦争をせず、平和が保たれました。


通信使は、12回(1811年)で終りました。理由の一つは巨額の経費。もう一つは、国学が盛んになり、尊皇思想とともに、日本は他国より優れた国と、自国中心主義が台頭します。明治になって植民地化までいきました。通信使については、明治以降、最近まで、学校でもほとんど教えませんでした。徳川幕府の業績を無視したことと、朝鮮が文化的に優位だったと認めたくなかったからでしょう。