週刊金曜日(2007年11月23日)「南京大虐殺70年怒りの大地悲しみの大河」片岡伸行よりピックアップ:

「一つは東京裁判で20万人以上、もう一つ南京軍事法廷では30万人以上という被害数を認定していて、その数は一致していません。虐殺数に疑問のある方は、両裁判の判決文を正確に読んでいただきたい。この数字が中国側の誇張ではないことが理解されるはずです」(朱成山)


南京軍事法廷および東京裁判の判決時には、現在の中国は存在していない。


朱が続ける。「二つの数字は異なりますが、実は東京・南京の両法廷の認識は基本的に一致しているのです」


「虐殺数20万人以上と認定した東京裁判ですが、この数字とは別に、日本軍によって焼かれた死体、揚子江へ投棄されたりその他の方法で処理された死体があると指摘しているのです」


「南京第二碇泊場司令部の少佐だった太田寿男が、1954年に撫順戦犯管理所で書いた証言記録が残されています。


太田の所属する第二司令部は南京陥落3日後の1937年12月16日、死体処理の命令を受けました。運輸兵800人を選抜し、もう一人の少佐である安達少佐とともにトラック10台、船舶30隻を使って連日にわたり揚子江に死体を棄てる作業を続けます。


死体処理の作業は1938年2月まで続けられ、第二司令部で10万体、その他の部隊でガソリンをかけて焼却したものなどが5万体あり、合わせて15万体の死体が処理されました。


この15万体を含めると、虐殺数は35万人以上ということになります。重複分を除いたとしても『30万人』は妥当であり、われわれはその数字を使っているわけです」


TBSテレビ(2007年12月13日)「NEWS23」よりピックアップ:

当時の様子を目撃した元日本兵の証言:


1937年12月13日から10日あまり、南京に滞在した。駆逐艦の上で見張役をしていた。揚子江のほとりにあるチュウザン埠頭での虐殺を目撃した。


20〜30人をトラックで連れて来るわけよ。音がするから振り返ってみたら、機関銃でダダダーッと…、バタバタバタバタ倒れていく。


南京戦終って5日もたっている。そういうことは、その日限りではなくて毎日続くということ。